"伊勢にて"
2008.4.18 久々にドライブがてら伊勢志摩方面を廻ってきた。東名を浜松で降りて、渥美半島からフェリーで鳥羽に渡る。そんでもって一気に奥志摩に向かい「合歓の郷」で温泉に浸かって、休憩所で設置の「バガボンド」を読み、一息入れてから雨上がりの伊勢志摩スカイラインで伊勢に出た。なんとなくこれで半島を一周り。伊勢神宮への参拝は明日の早朝と決めていたのでまずは焦らずチェックイン。今回の宿は外宮近くの宮町駅のシティホテルなのだがちょっとうろついても周りには何もない。なので一駅だけ電車に乗って河崎まで行ってみた。ここには川沿いに蔵が並んでいて松江に似てる風情のある街で歩いていてとても気持ちがいい。ブラブラしていて見つけた町屋作りの居酒屋「あじっこ」にて晩飯とあいなりましたがこれが大正解。マグロと鯛のお造り、牛スジ煮込み、サザエつぼ焼きと締めは伊勢エビ雑炊。すべて激ウマ激安。だが何故が客が僕ひとりしかおらず、家族経営らしき店員計三名の熱い視線を一身に受けながら黙々とビールを飲んだためにグーッと酔いがまわってしまった。店を出てて千鳥足で銭湯を探していると何やら急に楽しい気分になってきた。人が何を求めて旅に出るのかと言うと、そいつはたぶん解放感だろう。通常の日々のあらゆる束縛から逃れて、足の向くまま気の向くまま、という意味だけでは無く、いつしか忘れてしまった開放された心が甦る感覚。見知らぬ街の見知らぬ路地に迷い込んだりすると、ふと何故かウキウキとしている自分に気づく。理由の無い、予定の無い時間の中でしか出会えない自由な空気。そんなときは今までは許せなかった事が急にどうでも良くなり、目に映るものは全て受け入れる事が出来るような気がするから不思議だ。旅の途上、何時でもそんなことを意識している訳ではないけれど、それが写真に撮れたらいいな、とは常にどこかで思っている。それは求めて得られるモノでは無く、自然に発生する事件だったり気持ちだったり。そんな突発的な展開を見せる旅の写真、それに対して瞬時に合わせられる柔軟なココロと身体こそ、路上写真家の真骨頂であり、開放された自由な写真なのだ。「オーケー、今度は心を外に向けてみよう」13年前にロバートさんが言った言葉の本当の意味が今、何故か伊勢の河崎の銭湯の前でやっと理解出来る。人間辛抱なのだ。
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