JIMI HENDRIX: 1945-1970

HENDRIX: PROFILE/SET LIST

JIMI HENDRIX: INTRODUCTION


 ある文化の発生から現在に至るまでの流れを一本の線として考えた場合、それは一人ひとりの人間たちがそれぞれに築き上げていった点が数珠のように繋がって線として認識されているわけです。その点の大きさは良く見ればマチマチですが、数珠が長くなればなるほど大数の法則に飲み込まれて線の一部として埋没していきます。そんな中でたまにアクセントの様に独創性と生命力を伴ったとてつもなくデカイ玉が出現する事があって、その事件を人々は天才と呼びます。ジミ・ヘンドリックスはロック界で起こったかなり大きな事件でした。

 黒人でぎっちょでカッコ良くて、とにかく全てが今まで無かったスタイルのギタリストが1966年のU.K.ロック界に登場したときはそのまったく新しいインスピレーションとエネルギーに満ちたパフォーマンスに皆が度肝をぬかれたそうです。最初に彼に注目したのは他でもないジェフ・ベック、ジミー・ペイジといった白人ブルース・ギタリスト達でした。なかでもエリック・クラプトンは今まで自分がどうしても上手く演奏できなかったハウリン・ウルフのリフを楽屋で鼻歌交じりに演奏するジミをみて「絶対に彼には敵わない」と兜をぬぎ、彼の後ろを歩いて行こうと決意したエピソードはあまりにも有名です。ジミの死後、目標を失ったクラプトンはドラッグ地獄をさまよい、現場に復帰するまでには数年を要しました。それほどジミ・ヘンドリックスは大きな存在だったのです。彼は「サイケデリック・ブルース・ギタリスト」と呼ばれますが、それは彼の為だけに存在するジャンルであり、通常のジャンルに納まりきれない彼への敬意であると共に彼が唯一無二の存在である証明なのです。

 僕ももちろんビートルズと同じようにその名前とルックスは子供の頃から知っていました。ロック・フリークになってからもレッド・ツェッペリンらと共に「基本だから」とレコードを聴いたりもしてました。ただリアル・タイムでは無かった為か、のめり込むように聴きまくるということはありませんでした。それが7,8年位前にスタジオで徹夜で撮影をしていたときに、有線放送からジミの「リトル・ウイング」が流れてきて、イントロの例のフレーズが突然グサリと胸に突き刺さったのです。長時間の撮影で疲れてキリキリしていた心がふとした瞬間に開いて、そのすき間にジミのギターがじわーっと染み込んで来て思わず「うわー、これいいなぁ」と唸ってしまいました。これぞ正に音楽のパワーでこの時が本当の意味でジミを知った瞬間でした。家に帰って改めてレコードを聴き直すと新たな発見と至福感に満ちあふれ、そして呆れました。「何で今まで気がつかなかったんだろう、こんなにイイのに」と。僕は基本的に晩生な方でロックに関しても少し鈍いところがあります。ストーンズの場合もそうだったんですが、聴いてはいてもその本当の良さに気づかずに流していて、或るとき突然その良さに触れて愕然とすることがあり、ジミヘンもそのパターンだったのです。しかし気づいたら最後、遅ればせながらヘンドリックス教の信者となり、リマスター・シリーズやブートレグにまで手を出して聴きまくりました。

 通常のアーチストや古い楽曲のほとんどが時間が経つに連れ、少しづつ色褪せて思い出の中で美化されていくものです。もちろん時代と共に在るのがロック・ミュージックですからこれはロックの宿命でもあります。新しいモノの方が勢いがあるし新しいモノの方がロック的です。しかしジミの音楽は聴けば聴くほど新鮮さを感じさせる不思議な魅力を持っています。今の流行の音楽に混じってラジオから流れたとしても何の違和感もなく聴けるのはジミやビートルズの様な本当に限られたアーチストだけでしょう。30年ぐらい昔の音楽なのにサウンドそのものに古さを感じないのは何故なんでしょう。録音が良いからとかミキサーが良いからとかではなく、それは彼らが本物だからなのでしょうか。では本物のロックとは何なのでしょう。たぶん4年足らずの間にこれだけのものを残し、音楽の可能性を世界中に示したジミ・ヘンドリックスという存在が今もなお輝き続けている事がヒントになる気がします。(1998)


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