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昭和55年12月9日。僕は明日から始まる期末試験に向けて、恒例の一夜づけを始めようとしていました。しかし、高校生活の情熱の殆どを女の子と麻雀に懸けていた僕はテストの範囲も知らず、教科書も全て学校に置きっぱなしにしていたので、先ずは仲間内では勤勉家で通っていたM君に電話することにしました。「もしもしM?明日の選択英語のテストなんだけどさ」電話の相手が僕だと知るとM君は人の話を無視してまくし立ててきました。「とんでもねぇ事になったな」「なによ?」「まだ知らねえの?」「だから何がよ?」「ジョンが死んだぞ」「え?」「殺されたんだぞ」「え?なになに?」「テレビを点けろ!」「はははは。何言ってんだお前、嘘だろ?」「マジだって」「・・・リンゴの間違えじゃねえの?」「違う違う、ジョン・レノンだ」「・・・」どうやら真剣な話しだと察した僕は何だかこの会話を続けていくのが怖くなってしまい、とりあえず電話を切ろうと思いました。「判った判った。いいからテストの範囲をおしえてくれや」「お前、バカじゃねえの?」この年の始めにウイングスの来日を共に裏切られたビートルズ仲間であるM君は僕の反応の鈍さに腹を立てながらもテストの範囲の説明をし、ブツブツ言いながら電話を切りました。この降って沸いたような怪事件の真相を確認する勇気が無かった僕はテレビを点けることが出来ず、かといってジッとしている事も出来なかったのでとりあえず学校に教科書を取りに行くことにしました。当時僕は学校から歩いて15分程度の所に住んでいたので、その行為は混乱した頭をクール・ダウンするには最適でした。テスト期間中で誰もいない夕暮れの校庭は、海の向こうで起こっているであろう騒ぎとは全く無関係の静さで、サッカー・ゴールにぶら下がったりしているうちに僕はいつもの能天気さを取り戻していきました。「何でそんな事、でもMも結構いい加減だからな。きっと人違いか誤報に決まってるわ」まだ真実を知らない者の強みで、僕は都合の良い結末を創作し、勝手に安心しました。 家に戻ると弟がテレビを見ていました。「ありゃりゃ、問題のテレビが・・・」と思った瞬間、僕の目に飛び込んできたのは群がる人波をかき分けて何処かに向かおうとしているオノ・ヨーコの姿でした。ストロボが焚かれ、状況を説明するテロップが並んだその映像は明らかに重大事件を伝える緊急ニュースで、それと知った僕の心は先程M君に落とされた所よりも更に深い場所まで急速に沈んで行きました。「元ビートルズの人気歌手、ジョン・レノンさんがニューヨークの自宅前で撃たれました」アナウンサーの声がその映像にかぶさると「兄ちゃんの好きなビートルズが、殺されたーっ!」と弟が騒ぎ始めました。「うるせえ!まだ死んだとは言ってねえぞ」まだ諦めきれない僕は理屈っぽくアナウンサーの言葉尻を指摘しました。実際その時解ったのはダコタ・ハウスの前で何発か撃たれたと云う事、それはヨーコの目の前で起こったと云う事、そこまででした。繰り返される同じ内容のニュースにイライラした僕は「ジョン・レノン奇跡の生還!」の情報を求めるべくラジオを点けてみました。しかし現実は容赦なく、某局では既に特番で追悼番組を放送していました。残念ながらジョン・レノンはとっくに死んでいたのです。加害者はジョンのファンで、自分勝手な妄想の果てにジョンを撃ち殺したという余りにも馬鹿げた事件に僕は呆れ、先程から頭に上っていた血が今度はサーッと引いていくのが自分でも判りました。それまで何時も挑戦的でおちゃらけた態度をとっていたジョンが、最後にこの様な最悪にシリアスな状況に陥ってしまった事が僕に悲しみ以上に驚きと恐怖の感覚を覚えさせたのです。ラジオ番組は内田裕也と黒田征太郎のトーク中心という形式でしたが、二人とも既にかなり呑んでいた様子でした。さすがに気落ちしていたのか、裕也はポツリポツリとロックンローラーらしい死に様であると云うような事を繰り返し語るばかりでしたが、対照的に何故か駆り出された征太郎ははしゃぐように饒舌で、明らかに事件よりも裕也と同席している事に興奮していました。そして彼はとうとう「僕はレノンさんって方を良く知りませんが、死して尚、このような場を作ってくれた事に感謝しますね」などと思いっきり正直な発言をしました。酔っ払いの戯言とはいえ、腹が立った僕はスイッチを切りました。殆どのレノン・ファンと同様に、彼に対して並々ならぬ親近感を覚えていた僕は征太郎の様に「外タレが死んだだけだろ」と事件をドライに受け止められる人の存在が信じられず、重ねて言えば征太郎のストレートな感情表現を受け止めるだけの余裕もありませんでした。「絵描きのくせしてジョン・レノンも知らねえのかよ!」やり場の無い感情の矛先が征太郎に向いた事で一瞬緊張感を取り戻した僕に再び現実が降り注いで来ました。「ジョン・レノンが死んだ。殺されちゃったんだ・・・」数年に渡る主夫生活に終止符を打ち、さあ、そろそろとニュー・アルバムを発表したばかりのジョンに突然訪れたフィナーレは余りにも現実離れしていて、傍観者である僕にとっても恐ろしく残酷な出来事でした。 中学2年生の時にキャロルを通じてビートルズと云う素晴らしき英国製ストレート・ロックンロール・バンドに出会えた僕は、彼らのスマートでユーモラスな不良っぽさ、時代を超越したフレッシュなセンスに心底惚れ込んでしまい、もう10年早く生まれていればと何度不毛な後悔をした事か判りません。次から次へと繰り出されて来るビートルズの新作を目の当たりに出来ていたらどんなに興奮しただろう、どんなにハッピーだったろうと何度も何度も妄想しました。しかし現実にはビートルズは解散していた訳ですから、僕等『遅れてきた世代』が新鮮なビートルズ・フィーリングを求めるならば、不本意ながらも各自のソロ活動に注目するしかありませんでした。当時はポール・マッカートニーがウイングスを率いて全開バリバリの頃で、ビートルズが無くたってウイングスがあるよ、ってな位にテンションが上がってました。今でもそうですが、ロック・バンドがちょっと勢いを見せるとマスコミは『○○はビートルズを凌いだ!』と必ずビートルズを引き合いに出して来て囃し立てます。ウイングスも当然その状態でした。大体ポール自身にもそれぐらいの自負があったと思います。「ヘーイ、ポール。あの最高にイカしたモンスター・バンドをあんなに身近に体験したアンタが、ちょっと言い過ぎだろー?」と思いながらも僕も好んでウイングスを聴き、それなりに楽しんでいました。ジョージも盗作問題が滑った転んだとやっていましたが『33
1/3』と云うなかなかシャレたアルバムを出していましたし、リンゴもTVコマーシャルや映画に出てたりとビートルズは無くとも各メンバーの活動は活発でした。しかし、何とも物足りない味気なさがあったのは、肝心のジョン・レノンが活動を停止していたからです。ポールやジョージがいくら素敵な曲を提供してくれたとしても「あ、やっぱ良いね」とそこまでですがジョンだけは別格でした。僕にとってのビートルズ、その魅力の大半を担っていたのはジョン・レノンの存在でした。ジョンほど過酷な状況では無かったにしろ、割と早い時期に父親を亡くし、それが理由と云う訳ではありませんがちょっとばかりグレていた僕は、ジョンが持っていた喪失感や不安感が何となく解るような気がしましたし、常々飛ばしていたブラックなユーモアや繊細でありながら大胆な立ち振る舞いも清潔な感じで大好きでした。それにあの天性のモノと思われる不良グループのリーダー的な風格。これはもう理屈抜きで単純に憧れました。「あれが伝説の不良少年、ジョンさんかぁ・・・」みたいな感じです。たぶん僕だけじゃ無く、がに股に構えてヒザを揺らし、ネバネバとしたリズムで絶叫するジョンをみてカッコ良いと思わない男はきっと少ないんじゃないかと思います。正直言ってそれまで既に出ていた数枚のソロ・アルバムは「ジョンの魂」と「ロックンロール」を除けば、ビートルズほどのインスピレーションを僕には与えてはくれませんでした。しかし重要なのは大番長ジョン・レノンが表現したモノを同じ時代の中で「良い」とか「悪い」とかを体感すると云う事でした。要するに本物のロックンロールを生で感じてドキドキしたかった訳です。ビートルズは後聴きでさえそれがありましたがジョージのソロにはそれが無く、ウィングスも如何せんスマートすぎましたし、ストレートな不良性が欠落していました。勿論バンドの化学反応と云う点についても幼いながらも薄々理解はしていました。しかしそれでもビートルズが放っていた幾つもの輝きの中で僕が最も魅かれたのは何と言ってもジョンのロック魂でしたから、それをリアルに経験出来たならば、遅れてきた僕にもビートルズの瞬間的な爆発力、後聴きでは判らないコアな部分に少しは触れることが出来るはずなのに、と沈黙を決め込んだジョンをやや恨めしくさえ思ったものです。 そんな事もあってか、リアル・タイムのロック・ミュージックは僕にとってそれほど魅力のあるものではありませんでした。無意味なメッセージ、表現手段の肥大化等々、まるで舵取りを無くした船のように、ロック自体が方向性を見失ったかに思えたからです。そしてある時ふと気が付くと、ストレートなロックンロールを聴かせてくれるバンドなど何処にも居なくなってしまいました。「一体、ロックンロールはどうなっちゃったんだろう?」そう思っている時に突如としてロンドンからセックス・ピストルズを筆頭にパンク・ロックが現れました。奔放に振る舞う彼らのストリート・ロックンロールに僕はビートルズが持っていたイケイケの自由なロック魂を感じて、それこそアッと云う間にハマッて行きました。僕が感じていたロックンロールとは往年のジョンが体現していた様に唯の音楽ではなく、気合いであり、生きる希望を見出す行為でした。正しくそれを全身でアピールしていたジョー・ストラマーやジョニー・ロットンに自分たちの世代のジョン・レノンを見つけたのです。強烈なエネルギーをはらんだパンクの毒気に当てられた僕はその後、余計な情報が入って自分の大切なモノが水っぽくなるのを恐れるかの如く、他の音楽をほとんど聴かなくなっていました。 「もうこれしかないぞ!」と気合いを入れてのめり込んでいたパンクですが、リーダー・シップをとっていたピストルズが解散すると共にやはりそのムーヴメント全体が空回りし始め、カテゴリーに囚われない実力者を残して、パンク・ロックはあっけなく終焉を迎えました。しかしパンクの出現によって脚光を浴びた若手のミュージシャンの成長は、リスナーとしての僕をも自由にしてくれました。スカ、レゲエ、ロカビリー、ヒップ・ホップなど、パンクを通じて新旧様々なストリート・ミュージックに親しむ楽しさを覚えた僕が行き着いた先には、待ち伏せしていたかの様にビートルズが待っていました。「ムムム、やっぱりビートルズかね」ロックも既に第四世代、下手すれば第五世代に入ろうとしている現在、ロックンロール愛好家の人口は物凄い数になると思いますが、僕がその後何回も繰り返す事になるこの出会いとセリフを否定できる人はまず居ないでしょう。ビートルズを聴く事によって他のアーチストの良さも解り、他のアーチストを聴けば更にビートルズの凄さが、といった具合にビートルズにはロックンロールのエネルギーを増幅させるかの様な神秘的なパワーがあります。恥ずかしながらの再会の後、改めてビートルズ・ファンであると自認した僕に早速届いたのは『ジョン・レノン、始動』の朗報でした。当時ロックンロールはクラッシュが独走態勢に入っており、僕も二の腕に『CLASH
CITY ROCKERS』とイレズミを「彫ってやろうか!俺も!」と云うぐらい入れ込んでましたから、大番長の復帰は神輿を担いでる所に横丁から突然ねぶたが飛び出して来た様な感じで「おおっ!賑やかで良いね!行こうゼ!」みたいな大歓迎モードでしたし、この時期のジョンの活動再開はロックンロール全体にとっても心強いものでした。遅れてきた世代が待ちに待っていた生のビートルズのエッセンスを体験出来る事が、巡り巡って新しい世代のロックンロールを更にもり立ててくれるような予感もありました。役者が揃って、皆が色々ガンガラ演ってるうちに僕等の時代にも遂に本当のロックンロール黄金期が来るのでは、と期待したのです。そしてその先頭に立つのはミック・ジャガーでもジョニー・ロットンでも無く、ジョン・レノンを置いて他には考えられませんでした。実際に上がってきたジョンの新作は特別に刺激的なシロモノではありませんでしたが、家族愛を謳い上げる事が当時のジョンにとってのリアリティであることは理解出来ましたし、純粋な意味ではそれもロックンロール的でもありました。それに本当は内容なんかどうでも良いと云う気持ちの方が強かったと思います。とにかく活動してくれればそれで良いし、続けてくれさえいればそのうちまた何時かシビれるようなアルバムを出してくれるのは間違いないんだからと、まさかジョンが二度とアルバムを出せなくなるとは知らない僕はウォーミング・アップの様に余裕を持って『ダブル・ファンタジー』を聴いていたのでした。 過日ジョニー・ロットンが「もうロックンロールは死んだぜ」と言った時は「そうでもねえじゃん」と思っていた僕ですが、今は確かにあの時期、或る意味ロックンロールは一旦死んだんだと思います。『ザッツ・オーライト・ママ』で脚光を浴び『アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア』で花開き『アナーキー・イン・ザ・UK』でとどめを刺されたロックンロールは明らかに最初の一回りを終えていました。それでもパンクの余波によって最後の力を振り絞ったロックンロールは、それまで時代時代のポイントで常に寵児達を生け贄に選んでいった様に、ジョン・レノンと云うかけがえのない男を最後のゲストに選び、道連れにしてその第一章を終わらせたのです。今思えば、セックス・ピストルズの登場と入れ替わるように創始者、キング・エルヴィスが死に、その後二年足らずで末期ピストルズの象徴であったシドが死んだ時、ロックンロールに因縁めいたクライマックスの気配を感じていた僕は、更に重要な人物が持っていかれるような予感が薄々あったような気がします。実はその頃、僕はボブ・ディランが危ないと感じていました。70年代後半から急に宗教性を帯びてきたロックンロールの重要人物に何となく死の匂いを感じていたからです。しかしディランは生き残り、まさかと思っていたジョン・レノンがターゲットになってしまいました。しかもジョンは事故でもドラッグのやり過ぎでもなく、自分の意志とは全く無関係に友好的第三者であるはずのファンに撃ち殺されたのです。この悲劇を最もロックンロールに愛された男の宿命と考えるのは余りにも残酷すぎますが、内田裕也が言った様に他に言葉が見つからないのも事実です。いずれにせよ、ウェザー・リポートのジャコ・パストリアスが無知なボディガードに撲殺された理不尽な事件がファンにとって一生癒えない傷であるのと同じく、僕がジョンが殺された日の事を忘れることは無いでしょう。 それでも僕が救いに思うのは、ジョンのロック魂が残された者たちに確実に受け継がれているという事です。少し瞳を凝らせばエルヴィス・コステロの歪んだ口元に、ジョー・ストラマーが揺らす膝小僧に、そしてビリー・ジョー・アームストロングの指先にもジョンの魂は今も確実に息づいているのを感じる事は容易です。勿論ミュージシャンだけではなく、生前からファンだった人、死んだ後に生まれた新たなファンの人にも、それぞれの心の中で、A級マイ・ブーマーだったジョンの多面的に見える特異なキャラクターによって未だに様々な影響を与え続けているのは凄まじい事実だと感嘆せざるを得ません。港町リバプールの不良少年が、今やその人生が映画や博物館、子供向けの偉人伝になる程のレジェンドです。誤解を恐れずに言えば、ジョンは悲劇的な死と引き換えに永遠の存在に成ったのです。最早ビートルズのリーダー、ジョン・レノンでは無く、奇跡のロックンロール・バンドさえも生涯の一部として語られるスター中のスター、偉人中の大偉人です。でも、僕にとってのジョンはあくまでもロックンローラー・ジョン・レノン、その一本です。愛も、平和も、ドラッグも、生死も、ジョークも、子育てさえもジョンにとってはロックンロールと云う価値観で繋がり、一生を貫き通したのだと僕は解釈しています。その事は僕の中で、最早控えめな推測などではなく、最もジョンを理解していた筈の元ビートルズのメンバー3人によって再生された『フリー・アズ・ア・バード』を聴いた時に信仰めいた確信に変わっています。25年ぶりのビートルズの新曲として発表されたこの曲の冒頭でリンゴのドラムが響いた瞬間から「これじゃまるでジョンは生きてるのと同じじゃん!ビートルズだよ!」と最高にハッピーな気分になれたのは、3人がジョンのロック魂を理解し、尊重している気持ちがビシビシと伝わったからです。「ジョンの身体は灰になったけれど、ジョンの魂は存在し続けているんだぜ」と言わんばかりのメッセージは僕だけでなく、世界中のロックンロール愛好家にとって最高の励ましになった事でしょう。そして同時にロックンロールの、ビートルズの、ジョン・レノンのカッコ良さを再認識出来た事が僕には何よりのプレゼントでした。ジョンがもう現実には二度と歌わない、叫ばないと云う事は本当にどうしようもなく残念です。でも、これはきれい事ではなく、やっぱりジョンの魂は僕の心の中にも生きているのです。あえて黒田征太郎流に今の想いを述べるならば、死して20年経つ今も尚、これほどまでに自分をエキサイトさせてくれるジョン・レノンとそのロック魂に感謝します。親愛なるツッパリ・ジョンよ、永遠なれ。(ロック・ジェット02掲載) |
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