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どんなジャンルでもそうだけれど、一度失敗した人が復活するというのは難しい。それが映画監督ならば尚更だ。それまでどんなに優れた作品を作っていたとしても、ちょっとした間違いで駄作を発表してしまったら最後、それ以降、以前のような映画が撮れなくなってしまうのが、この世界の常である。コッポラしかりジャームッシュしかり。リュック・ベッソンにいたっては「レオン」以降、名声と引き換えに非常につまらない監督になってしまった。しかも「グレート・ブルー」や「ニキータ」が嘘のような、本当にくだらない映画ばかり出してきているにもかかわらず、むしろそれが商業的には、以前の作品よりもヒットしているのが、彼が本来持っていたはずの杞憂なセンスの価値までをも、下げる原因になっている。自分に自信がついてわがままになってしまうのか、ドラッグのやりすぎで頭がおかしくなってしまったのか、具体的な理由は定かではない。しかし、ある程度名声を得た後には必ず、こうした人生の罠が待っている事に、誰もが注意しなければいけない。精神的にも、世間的にも、復活のチャンスはナカナカ巡ってこないものだから。 「キル・ビル」を観たとき「ああ、もうタラも終わった」と非常に残念な思いをした。だから「シン・シティ」も観なかった。でも、この映画の宣伝をカー・ラジオで聞いた時「これは何か違う」と感じるものがあった。直ぐにWEBでポスターや予告編をチェックした時にはもう観る気満々の自分が嬉しかった。タランティーノの気合いが、映画を観る前からビンビンに伝わって来たからである。起死回生の思いもあったであろう。また此処で失敗したら・・・。既にハリウッドのビッグ・ネームに成っているんだから、別に今後も食うには困らないだろう。けれど、それじゃあヤツのプライドが許さない。僕とタランティーノは同じ歳である。もう、自分が良いと思ったものが最高なんだ、という事を十分に知り尽くし、納得し、自信を持っている年齢だ。「どうこれ、文句ある?」本当に自分がやりたいことを、何の澱みもなく打ち出してきたこの映画、タランティーノの最高傑作だと結論付けてしまおう。 正確に言うと、この映画はタランティーノの単独作品ではなく、ロバート・ロドリゲスとの共同作品で、タランティーノ監督の「デス・プルーフ」とロドリゲス監督の「プラネット・テラー」の2作品プラス、でっち上げの予告編が4本と、やはりでっち上げのピザ屋の宣伝等がパッケージされた、3時間強のオムニバス映画になっている。昔の名画座の雰囲気をまるごと作ったのが「グラインドハウス」という作品なのだ。日本ではこのオムニバス形式ではなく、本編の2作品を別々にディレクターズ・カットとして公開されるが、僕が観たのは特別ロードショーとして一週間だけ公開されたオムニバス形式のU.S.Aバージョンで、のちに「デス・プルーフ」のディレクターズ・カット版も観たが、編集の違いもあって、「グラインドハウス」の中で観る「デス・プルーフ」の方が断然良かった。もともとそういうつもりで撮ってる訳だから当然といえば当然だが。 細かい内容をここでつらつら書いてもしょうがないので書かないが、とにかく観てくれと大声で言いたい。「パルプ・フィクション」を観たときも相当興奮したが、この映画はもっとイカレてる。タランティーノはとにかく凄い。ここまで凄いとは思わなかったが、ヤツはやった。スゲー、スゲーとみんな簡単に言うけれど、本当に凄い映画がこれだ。歯をくいしばり、こぶしを握りしめ、ブルブルと震えながらスクリーンにくぎ付けになったのは本当に久しぶりだ。以前ドラフトの宮田さんに「表現っていうのは、圧倒的じゃないと駄目だ」と説教された事があった。「わかりました」とは言ったものの「圧倒的なものを作ろう」と思って簡単に作れるものでもない。「じゃあ圧倒的ってなんだ?」と折に触れ考えていたが、その答えがこの映画だろう。信念を貫いたから?気合いが入っていたから?卓越した技術があったから?方法論は解らないが、なにしろタランティーノのエネルギーが爆発して、猛烈な感動がガガーッと僕のココロになだれ込んで来たのは確かだ。とにかく映画が好きならこれを観ないと駄目だね。これを観て「面白い」と思えない奴はもっと駄目だ。ちなみに今回は撮影監督もタランティーノが担当していて、映画史上最高にしつこい、究極のカー・チェイスをものにしている。とんでもない交通事故のリアル描写も賛否の分れるところだろうが、その辺ゴチャゴチャ言う奴は観なくて良い。エロもグロも全て映画の中の事。ファンタジーなんだよ、と解ってる連中だけが観れば良いんだ。その線の引き方も凄くハッキリしていて猛烈に気分が良い。万人受けする映画なんてくそ食らえって感じ。「ワッハッハッハ、映画はこんなに面白れえぞ」と、時にうるさいタランティーノのハイ・テンションが今回ばかりは頼もしい。
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