猫たち:ムク篇その1


 犬派か猫派か、と訊かれる事があるけど、僕は以前まで自分は前者の方だと思っていた。犬の方が人なつっこいし、フリスビー犬とかにも憧れていたし、とにかく明るい感じで、そんなに好きではないけれど、チャンスがあれば犬を飼おうと何となく決めていた。それに比べて猫は道路でよくひかれてるし、コソコソしてるし、それに猫と言えば梅図かずおの「猫目小僧」っていう世代だから、とりあえず暗いイメージで、あまり考えなしで「わりとキライかな」と感じていた。そんな僕の思いを180度変えた事件が起こったのは、或る日曜日の午後、ドライブがてらに城ケ島まで行った時の事だ

 城ケ島は三浦半島の三崎漁港の向かいにある、観光中心の島で、よく在るその手の場所同様にあちこちにノラ猫がいる。釣り人や観光客のお陰で、それほど痩せこけた猫は少なく、比較的一年中暖かい場所と言う事もあってか、多くの猫たちがノンビリと暮らしている。ここに来るといつも必ず猫がいるので、犬猫好きのうちのカミさんがじゃらしたり、手持ちのエサをあげたりするのだが、この日は異常になついてくる猫がいた。見た目で3ヶ月ぐらいのメスの和猫で比較的毛の長いカワイイ顔の猫だった。「この子メチャメチャかわいいよ」とカミさんが抱き上げても嫌がるそぶりも見せずニャーニャーと喜んでいる。この時何やら予感めいた感情が僕を襲った。あまり猫に触ったりしない僕も、ちょっと抱いてみるとゴロゴロと嬉しそうにしているではないか。猫もカワイイな、とたぶんこの時初めて思った。その思いにその猫は全身で答えてくれた。コミュニケート出来た喜びで1時間ほど遊んだだろうか、陽も暮れてきて、そろそろ帰ろうかと猫に別れを告げようとしたが、何となく離れがたかった。向こうも自ら車に乗り込んで来るほどまだ遊びたがっている。無理矢理外に戻して「さよなら、さよなら」と手を振ってもその場を去る素振りも見せない、その猫の瞳を見ているうちに、案の定何かしら運命的なものを感じてしまった。ムラムラしている僕を見て、ワクワクとその一言を待っているカミさんに「連れて帰ろうか」と言うや否や猫を車に乗せ、そそくさと城ケ島を後にした。

 野比の駅前のペットショップで、トイレとエサ入れを買い、高速にのって横須賀を過ぎた頃に、この運命の猫をそのムクムクの体にちなんで「ムクちゃん」と命名した。車中では非常にリラックスしていたムクちゃんだったが、家に着くとなにやらソワソワとしはじめた。「トイレだわ」と先だって用意した猫トイレ・グッズを準備したが間に合わず、ムクちゃんはタンスのすき間に顔だけ突っ込んで、一気にビチグソをたれた。頭隠して尻隠さずとはこのことだ。後始末をするカミさんを、申し訳なさそうに見つめるムクちゃんを「これからはここでするんだよ」と用意したトイレにいざなうと、直ぐに覚えて2度とソソウはしなかった。この時なんて賢い猫なんだと思いながら「もしや飼い猫だったのでは」と疑心も宿った。しかし、この晩はまさに至福の夜であった。異常になついているムクちゃんとのひとときは、何で今まで猫が嫌いだったのか判らなくなるほどの新しい経験だった。「ムーちゃん、どうしたんだ?君は何なんだ?」と訊くと「ニャンニャン、ゴロゴロ」と、からだ全体で会話が成立してしまう。それでいて犬とはまったく違った切なさを伴った、深味の在る愛情表現に感動すら覚えた。ああ、なんて素晴らしい生き物をこの世に使わしたのだろう、と神さまに感謝しつつ、その日は川の字になって寝たのである。「もう猫って最高だね」と強烈なマイ・ブーマーの僕は一夜にして猫派の親衛隊長である。今まで全く縁の無かった犬猫ショップを覗いては、玩具や本を購入し、猫の魅力の分析が日々の第一目標となった。しかし事件は起こった。

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