CAROL: 1972-1975

CAROL: PROFILE/ALBUM

CAROL: INTRODUCTION


 突然ですがキャロルです。30歳以下の人は名前さえ知らないかもしれませんが、矢沢永吉、ジョニー大倉を輩出し、あらゆる意味でロック・バンドの在り方を定義づけた、日本ロック界に燦然と輝く金字塔的バンドと言えるでしょう。なにしろ岩城滉一も館ひろしもヘルズ・エンジェルスよろしくクールズと言うグループ(のちのクールス。その後館ひろしが抜けてクールス・ロカビリー・クラブとなるが当時は暴走族)を組んでキャロルの親衛隊をしていたのですから、その一点だけでもキャロルの地位の高さがお分かりかと思います。

 僕がキャロルをはじめて見たのはTV番組「リブヤング」にゲストで彼らが出たときです。まずメンバーのいでたちにびっくりしました。黒革のぴちぴちの上下にポマードべったりのリーゼント、上から下まで黒でピカピカなのです。しかもみんな針金のように細い。当時小学校4年生か5年生だった僕はそんなスタイル見たことが無かったので一体この人達は何をする気なのかとそれだけでくぎずけになってしまいました。司会の愛川欽也が「今日は何を演ってくれるの?」と聞くと以外にさわやかにエーちゃんが2,3言しゃべっていきなり演奏が始まりました。曲名は憶えてませんがとにかくエレキでバリバリバリッ!のドラムがダダダダッ!で、歌はウォー!イェーイ!カモーン!ですから。何だか判らないけどカッコイイ、今まで聴いたことのない音楽で異常に興奮しました。とにかく「ははーん、これが本物の不良少年だな」と思いました。それまで不良といえば長髪にパンタロンで未成年なのに同棲しちゃったりするおにーさんというイメージでしたがキャロルはそんなものを一気に吹っ飛ばしてくれました。

 このテレビ番組の影響力は凄まじく、翌日学校へ行くと「俺もキャロルみたいになりてー」という子供達であふれていました。さすがに小学生ですからリーゼントにした奴は一人しかいませんでしたが(注:僕ではありません)ほとんどの人がラッパ系のズボンをやめて、スリム・ジーンズが主流になりました。掃除の時間にはほうきをギターにみたててクネクネと腰をふりながらキャロルのまねをするバカも後を絶ちませんでした。これ以降キャロルは萩原健一と共に僕ら健全不良少年のカリスマとして君臨するわけです。さらに僕にとっては初めてのロック体験であり、キャロルのルーツを求めてビートルズへ、そしてピストルズへとロックな旅のスタートでもありました。中学時代の三種の神器はショーケンのポスターとヌンチャク、キャロルの"ゴールデンヒット20"でこれらは誰の家に行っても必ず目にしたものです。麻雀などをやりながら繰り返し繰り返しレコードを聴いては一緒に歌い、恍惚としたものです。キャロルの歌は今でも全部歌詞カードなしで歌えます。憶えやすいメロディときれいな詞。エッジの効いたサウンドもさることながら、キャロルの人気は確かな力量にうらずけられていたのです。

 中学校にあがったらキャロルのコンサートに行こうというのが僕達の夢でした。今とは違ってロックのコンサートにいくのは一種の冒険でしたから小学生には無理だろうと勝手に決めていたのです。しかしその夢はやぶれました。中学の入学式の直ぐ後、キャロルはたった3年で解散してしまったのです。しかも後に観た解散コンサートの映像の中で会場で館ひろしにインタビューを受けている小学生を発見した時はくやしさで失神しそうになりました。でもなぜか解散のショックよりもその散り際の見事さにほれぼれとしてしまい、さらにファンになったのです。高校生の時に桜の樹をバックにキャロルのイラストを描いたことがありました。まさしくそれは象徴的でセンチメンタルな僕にとってのキャロルでした。なんだか思い出話に花が咲いてしまいましたが、それほどキャロルは僕らの世代に深く深く浸透していたのです。(1998)


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