ELVIS COSTELLO: PROFILE

COSTELLO: ALBUM/LIVE/SET LIST/INTRODUCTION/PHOTOGRAPH


1954年8月25日、ロンドン郊外でビッグ・バンドのトランペッターだった父ロナルドと母リリアン・マクマナスの間に生まれ、デクラン・パトリック・アロイシャス・マクマナスと名付けられる。彼が11歳の時に両親は離婚。母親に引き取られリバプールに移り住む。学校卒業後ロンドンに戻り、就職と共に"フリップ・シティ"というバンドで音楽活動を開始する。75年にバンド解散後、76年から母親の旧姓を使って"D・P・コステロ"としてソロ活動を始める。77年3月にスティッフ・レコードからファースト・シングル「レス・ザン・ゼロ」を出し正式デビュー。この時からスティッフの社長の提案により"エルビス・コステロ"と名乗ることになる。この年の7月にはファースト・アルバム「マイ・エイム・イズ・トゥルー」を発表。当時のレコーディング時のバック・バンドはのちの"ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニューズ"の"ザ・クローヴァー"。その後ライヴ活動の為にドラムのピート・トーマス、ベースのブルース・トーマス、キーボードのスティーヴ・ナイーヴの3人による"ジ・アトラクションズ"を結成し、85年まで活動を共にしバンドとして9枚のアルバムを発表する。86年から93年まではアトラクションズと分れソロ活動に専念する。この時期バッキング・サポートにはコンフェデレイツ、ニック・ロウ、Tボーン・バーネット、ルード5らが参加。89年には12枚目のアルバム「スパイク」でポール・マッカートニーと共演し、92年には弦楽四重奏のブロドスキー・クァルテットとアルバムをレコーディング、同じ内容のステージでツアーも共に行っている。94年には再びアトラクションズを呼び戻し「ブルータル・ユース」と「オール・ディス・ユースレス・ビューティー」をレコーディング、ツアーも共にまわるが、96年のATUBツアー後みたびソロ活動に入る。98年のFuji Rock Fes.にはスティーブ・ナイーブとのユニットで参加。10月にはバート・バカラックとのデュオ・アルバムを発表。


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