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映画がオープニングで決まる様に、ライヴも最初が肝心だ。ストーンズも例外ではなく、72年(日本へくるはずだったツアー)には「ブラウン・シュガー」、81年のツアーでは「アンダー・マイ・サム」、そして彼らにとって7年ぶりのツアーとなった89年には「スタート・ミー・アップ」と、常にそのツアー全体の意味付けさえもしてしまう曲を常に冒頭に持ってきている。そういった意味で2度目の来日時のオープニング・ナンバーの「ノット・フェイド・アウェイ」にはシビれた。こいつらまだまだやる気なんだと嬉しくなった。ステージ自体もシブイ内容で、いい意味で大人のロックという感じで初来日時と比べてかなりこなれた印象を受けた。落ち着いて観れたお陰で今更ながらロン・ウッドがかなり重要なポジションに居ることにも気づかされたし、ツアーではレギュラー・メンバーのボビー・キーズのサックスの輝きに触れることも出来た。だからブリッジス・トゥー・バビロン・ツアーのオープニングナンバーが「サティスファクション」と知ったときは嫌な予感がした。 もしかしてこれを最後のツアーにするつもりではないのかと思ったのだ。しかしその思いは来日の際のミックのインタビューを聞いて吹き飛んだ。東京ドーム完成10周年に対してのコメントとして彼はこう言った。「あと10年経ったらきっと新しいドームが出来ているだろう。その時はまたこけら落しにストーンズのライヴを見せに来るぜ。」これをジョークととるか本気ととるかは聞く人の判断だが僕は勿論後者の方だ。ミックの前向きで澄み切った言葉が僕の心を貫いた。ストーンズは自他共に認めるライヴ・バンド、活動を続ける気が在るかぎり自分らで幕を下ろす理由など無いはずだ。僕は自分の老婆心を恥じつつ気を取り直してライヴに足を運んだ。 ドームに着いてまず驚いたのは会場中央に据えられた小さな円形のステージだ。まさかここで演る気なのかと疑ったがメインステージから延びた花道がその答えだった。改めてまわりを見渡すと2階スタンドよりも上には観客が入っていない。キャパを制限しているのだ。これはとんでもないことになるぞと期待が盛り上がったが、いざライヴが始まると想像以上のステージだった。彼らもこんな素人に言われたくも無いだろうがメンバーの演奏というかグルーヴの出し方が前2回来日の時よりも研ぎ澄まされている。特にミックの声がメチャクチャ出るようになって明らかに歌がうまくなっていたのにはビックリした。82年以降の7年のブランクを経て、89年から再びコンスタントにワールド・ツアーに出始めたことがここに来て実を結んでいるのには心底感動した。バンド名に恥じない彼らは本当の本物である。 新曲も幾つか披露しながらステージの中盤に入ると遂に彼らはブリッジを渡って例の円形ステージにやって来た。ビートルズのワシントンDCのライヴの様に彼らの周りをぐるりと観客が取り囲んでいる。モニターも無い小さなステージでスポットライトに照らされたストーンズがアンプの生音だけを頼りにガリガリに演奏を始めると東京ドームが完全にライヴハウス状態になった。「リトル・クイニー」「ラスト・タイム」と夢にまで見た60年代のステージが再現されて会場は文字通り興奮のるつぼと化した。実際かなり危険な状態だったと思う。花束やプレゼントがステージに投げ込まれるたびに緊張が走った。しかし紙吹雪が舞い落ちる中、ガクガクと震えるほど喜びで一杯になったファンの中に不遜な人物が居ようはずが無い。メンバーからのこの素晴らしい贈り物に誰もが唯々感謝するだけだ。そして彼等の危険を冒してまでもファンの期待に答えようとする態度には皆が脱帽するだろう。 今だから出来ることだとも言える。そこにはお金や自尊心といった価値観とは無縁なピュアな愛が確かに存在していると思う。きっと彼等は僕等が思うよりもズーッと向こうに越えてしまっていて、あそこまで行ければ本当に凄いと誰もが思う所まで行ってしまっているのかもしれない。「サティスファクション」は彼らの大ヒット曲だから"まとめ"でオープニングに持ってきたのではなく、この曲が今の彼らのメッセージなのだ。留まることを知らない貪欲さと風格、貫録、愛を兼ね備えたバンドが彼等の他に居るだろうか。彼等の醸し出す空気に一度でも触れられただけで、そうでない人よりも何倍も幸せだろうが、10年後は勿論のこと、そんなに時間を空けずにまた絶対日本に帰ってきて欲しいと心から願わずにはいられない。
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