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6月の下旬、パンク仙人さんに誘ってもらって、ジュリアン・ テンプルの新作映画「THE FUTURE IS UNWRITTEN」(邦題: ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー LONDON CALLING)の試写 会に行って来た。ジョー師匠のドキュメンタリーはこれで3本めになるけれど、どうやらこいつが決定版とのこと。会場にはアナーキーのしげるも来ておった。 中国帰りのP仙さんと久々に四方山話をしてい ると、会場スタッフのおずおずとした挨拶が始まり、おもむろに映画は スタートした。冒頭の「白い暴動」録音シーンに始まって、幼少期の8 mm映像など、よくもまあこれだけの映像を集めたものだと、感心することしきり。それらを当時のアニメやイギリス映画とうまくコラージュし ている。僕の大好きな「小さな恋のメロディ」からもロンドンの風景が チョイスされてて、ドキドキと胸がときめくと同時に「ああ、オレはこ ういう風景に憧れてて、だからロンドン・パンクに興味を持ったんだ」 と改めて中学時代の自分の心理状態を分析した。 映画が進むにつれ、ゆかりの人達のコメントで師匠の人柄や、当時のクラッシュの存在が浮き彫りにされてゆく。クラッシュのメンバー以外で、とても興味深かったのがボノだ。どうやら彼は本当のクラッシュ・アーミーで「クラッシュ のライヴ会場は本物の暴力の匂いがして、オレは震え上がると同時に、 異常に興奮していた」と熱く語っていたが、全く同感。U2なんて 大した事ないけど、彼はなかなか上手い事を言う。対照的なセレブが ジョニー・デップ。御大層にトーンが低く、分かりきった事を喋りおっ て、何だかがっかり。その他マット・ディロン、ジャームッシュら著名人に混じって、ファイン・ヤング・カーニバルのローランドも登場。当時から このバンドはクラッシュの影響下にあると睨んでいたので、なんとも腑 に落ちる思いがあった。それらも含め、途中何度か涙がちょちょギレル 場面があったが、終盤のミック・ジョーンズとの再共演のシーンには強烈にやられた。「白い暴動」に拘った師匠と、それをあえて嫌い、殴り合いの喧嘩に持ち込んでまで固辞したミック・ジョーンズ。時は過ぎ、様々な曲折を経たのちに、再び同じステージに立った二人。そこで問題の曲を始める合図を師匠が出した。「キーはAで」師匠の気に押され、思わず演奏するミック・ジョーンズ「最初はそんな気無かったんだけどさ。気がついたら上着を持って、出るぞ!って」もう涙が止まらんわい。お互いに修羅場をくぐって来たからこそ、彼らには戦友にしかない、深い絆がある。只の友達なんかじゃないんだ。 「いやあ、あのシーンはねえ。よく撮ってましたね」と終演後の居酒屋で語る、P仙さんの目頭にも熱いものがあった。そういえば、その前にP仙さんは問題発言をかましてくれた。「植田さん、映ってましたね」そう、なんと僕もこの感動巨編に出演していたのだ。メスカレロスのラスト・ツアーでの、新宿リキッドルームのシーンで僕が映っている。この時の事は良く覚えていて、図らずもこの日が、僕が師匠を見た最後の日となったわけだが、この時のライヴは非常に師匠もノッていて、何度かアンコールを繰り返したのち、客電も点き、せっかちな客はエレベーターに殺到していた。僕はセット・リストが欲しくて、ステージのゴミ拾いをしていたのだが、突然バック・ミュージックが止み、客電が消えると再びメスカレロスが登場したのだ。本当のアンコールに興奮した僕は、肺炎であったにもかかわらず最前列で大暴れし、演奏後ステージを去ろうとする師匠の手を握りしめ、激しく頷いている場面がカメラに収まっていたのだ。実はこのシーンは「LET'S ROCK AGAIN」からの映像で、当然以前にも見ていて「ん?」と思ったが、ビデオでしか観ていないので、今イチ暗くて完全に確認出来ていなかったのだ。家に帰って何度も問題のシーンを観たが、やっぱり暗くて、もう一つ釈然としないものがある。あの赤シャツは本当にワシなのか?「もう一回観たら良いじゃないですか」とP仙さんにケツを押してもらい、宣伝担当の佐藤さんにお願いして、再び試写会場に足を運ぶ事にした。 |
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