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「今、ジョーが一人で来ます。こっち先にやりましょう!」あれ程念仏を唱えたにも関わらずやっぱり僕はあわててしまいました。先程マークしておいた位置にストロボをセット仕始めると「これを持ったまま写りたいんだ」と麻の和柄パターンのバンダナと日本語の挨拶が書かれたメモを手にしたスーツ姿の師匠が入って来ました。師匠は慌ててセッティングしている僕を見て「フー・アー・ユー!」と言って来ました。それで更に慌てた僕が混乱して思わず「ト、ト、トシ!」と名乗ると「トシ???オーケー、トシ、ハウ・ドゥ・ユー・ドゥー」「!」この「初めまして」に僕は師匠の品格を感じました。今まで何人かの外国人ミュージシャンを撮影して来ましたが僕が「初めまして」と挨拶して「こちらこそ」ときちんと返して来たのはリーフのケヴィン・ハウスとG-ラヴ位で大抵は「ハーイ」で済ませてしまいます。意外な先手を打たれ、しかも既に汗まみれでアセっている僕とは対照的に師匠の周りには落ち着いた大人のムードが漂っています。この段階でもう何か「自分が恥ずかしい。負けた」という感じでしたが思い直し、師匠が差し出した握手代わりの人さし指を両手で握りしめ「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥー!」と頑張りました。撮影が始まると「ただ立っていれば良いのかな?」「どういうポーズが撮りたいんだ?」と要求を要求してくる師匠に飲み込まれそうになりながら「笑って下さい」とか「もう少し斜めに」とか本当にそうして欲しいのかどうかも判らない指示を出してとにかくシャッターを切り続けました。「ストロボは飛んでいるのか?時間は大丈夫か?」頭がゴチャゴチャになりかけた頃に師匠が僕のTシャツに注目しました。僕はその日ちょっと迷いましたがクラッシュ時代の師匠の写真をプリントしたTシャツを着ていました。「ファニー・フェイス!」舌を出した自分の若き日の写真をみて師匠はウケている様子でした。これで調子に乗った僕は通訳の方に「これと同じポーズをとってくれませんか?」と頼んでみましたがあっさり「ノー」と断られてしまいました。しかしこれで少しでも心の交流が出来たと感じた僕は「この関係でもう少し撮りたい」と待っているオフィシャルの方に悪いなと思いながらもアップの撮影に入りました。「あと一分で終わらせよう」と夢中で撮りましたが、撮っているうちに何故かまた混乱しはじめて「写ってりゃいいんだ、写ってりゃ」と半ばヤケクソな状態に陥りました。するとそれに気付いたのかまた「どんな表情が良いのか言ってくれ」と間の手を入れる様に師匠が言うのでフッと救われたような気分になり「レンズを睨みつけて下さい」と頼んでみました。ややテレ気味の師匠の瞳をレンズ越しに見つめながら1枚、2枚、とシャッターを切るとこれまた何故か無意識に「良し!オーケー!」と言ってしまいました。師匠は驚いた様に僕を見て「オー、フィニッシュ!オーライ?」と聞いて来ました。その時は本当にオーライかは判りませんでしたが不安よりも終了の安堵感の方が勝っていて「オーライ!オーライ!サンキュー!」と撮影時よりも元気一杯に師匠の手を握りしめていました。 撮影機材を車に積み込んで会場に戻ると師匠の歌声が聴こえて来ました。「これ、今演奏してるんですよね?」思わず編集者の方に聞いてしまった程この日の師匠の声はとてもクリアでノリの良いモノでした。早速ビールを買って中に入ると先程自分が撮影したアーチストがステージに立っていて、それは何か不思議な感じでした。「ヘヘヘ、俺はあの人とセッションしたんだぜ」と何か「ざまあみろ」と言った感じの充実感で一瞬好い気になりましたが演奏が進むに連れ、頭の何処かが醒め始めました。「さっきの撮影は本当に写ってるのか?」不安とも疑問ともとれる微妙な感情がでしたがそれはステージ上の師匠が先程レンズ越しに見ていた人物よりも何倍も活き活きと見えたからです。他の方はどうか判りませんが僕は一方的なライヴ写真よりも被写体としっかり対峙したセッション写真の方が好きだし上等だと思っていました。しかしミュージシャンの本当に輝いている瞬間を撮ることが出来るのはライヴ写真なんだ、と余りにも当然の事に今改めて気付いたのです。それ程この日のライヴは上質のモノでした。重ねて言えばそれを確認することが出来た自分、ステージを降りたミュージシャンのリアリティに触れられた事実は本当にかけがえのない素晴らしい経験なんだ、と此処に来て初めて師匠とセッションした事の感激を実感出来た気がします。「オーケー、次はロック・ステディのハード・スタイルだ!」ニュー・アルバムのタイトルが示すように細かいジャンルの垣根を破り捨て、融合させたオリジナルなストリート・ミュージックを完成した今の師匠は第二の人生を歩み始め、それに成功した手応えをしっかりと感じている様で、激しい演奏の中でも何処か穏やかな至福感に溢れていました。 結局この日の取材はキャンセルとなり、編集者の方々はガッカリして帰って行きましたが僕にはもう一つすることが残っていました。前回のツアー時に撮影したライヴの自家版写真集を師匠にまだ渡していなかったのです。しかしライヴ終了後もゲストの挨拶やラジオの収録などで師匠はとても忙しそうでなかなかチャンスを見つけるのは難しそうでした。その旨を関係者の方に相談すると「申し訳ないです。この列に並んで貰えますか?」との事。例によって師匠のファンが外で何十人も待っていて、その事を師匠が知ったら全員中に入れろという事になります。思案したスタッフがその中の何人かを代表としてラジオの収録中に楽屋に入れていたのです。その列に並び順番を待っていると師匠は相変わらず一人ひとり丁寧に応対していてなかなか僕の順番が廻って来ません。スタッフのイライラが僕にもひしひしと伝わって来ました。「ちょっと余り長居は出来ないな」と師匠との深い交流は諦めましたがいざ順番が廻って来ると少しでも長く師匠と時間を共有したいとやっぱり欲張ってしまいました。「これをドーゾ」と写真集を手渡すと師匠はちょっと真面目な顔になり、丹念にそれを眺めてくれて「グッド・プレゼンテーションだ」と繰り返しました。写真についての具体的なコメントは僕が英語が堪能で無い為何を言ってるのか判りませんでしたが、師匠が照れながらも喜んでくれている事はその表情からしっかりと伝わって来ました。最後のページに「これからもギターをストラミングし続けて下さい」とコメントを書いて置いたのですがそれを読んだ師匠が「イエー!オーケー!」と急に元気に握手を求めて来てくれた時の笑顔はその日僕が見た中で最も素晴らしいものでした。もっと色々と説明したりしたかったのですが「さあ、もういいでしょう!」というスタッフのイライラがまたぞろ伝わって来たので挨拶をして引下る事にしました。僕にとっては大イベントである写真集授与式がアッサリと終了してしまい何となく気が抜けてしまいましたが以外と刹那的な印象は無く「また次には今回の写真の渡そう」と健全で前向きな気分で会場を後にしました。「また会える」そう確信出来たのは完全に地に足がついた感のある師匠の立ち振る舞いの御陰でしょう。 後日、現像が上がってきてベタ焼きをとってみるとそこには思いの外「その気」になっている師匠の姿が浮かび上がって来ました。「良かった!写ってる!」ちゃんとコミュニケート出来たのかどうかを不安に思っていた僕には写真の善し悪しよりも師匠から漂ってくる「その気」は本当に有難いモノでした。更に、その時は全く気付かなかったのですが「ノー」と言われた筈の舌だし写真のリクエストに師匠はこっそりと答えてくれていたのです。それは「何かコイツ困ってるみたいだな。仕様が無いからちょっとだけやってやるか」という感じの師匠の奥ゆかしい優しさの現れである気がしました。そのカットは写真的にイマイチなので僕と師匠の名誉の為発表するのは控えさせて貰いますが、普段大人っぽく淡々として見える師匠の隠されたフレッシュな繊細さと今回のセッションの本当の意味での証として我が家の家宝となるでしょう。ジョー師匠、有難うございました! |
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